大判例

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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)169号 判決 1972年4月13日

原告

飯塚角次郎

外一名

代理人

盧原常一

被告

有限会社

吉田木工所

右代表者

吉田亥代治

被告

吉田亥代治

右両名代理人

畠山国重

外一名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告らと被告有限会社吉田木工所との間においては原告らに生じた費用の二分の一を被告有限会社吉田木工所の負担とし、その余は各自の負担とし、原告らと被告吉田亥代治との間においては全部原告らの負担とする。

事実

第一  当事者双方の申立

一  原告ら

1  原告らに対し、被告らは、東京都板橋区中台一丁目二七番九号所在の木工場内の木工機械などの操業にあたり

(1) 隣地内で測定して六五ホン以上の音響を発せしめてはならない。

(2) 右木工会場の西側窓をすべて閉じなければならない。

2  被告らは原告飯塚仲子に対し各自金二八〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四二年五月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決および第2項について仮執行宣言を求める。

二  被告ら

1  原告らの請求はいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第二  当事者双方の主張

一  原告ら(請求原因)

1  原告ら夫婦は、昭和三二年夏頃から東京都板橋区中台一丁目二七番九号に家屋を所有し居住しているものである。

被告吉田亥代治(以下被告吉田という。)は、昭和三二年初め頃から、原告ら居住地の東側隣地に木工場(以下本件木工場という。)を建築し、自動鉋、丸鋸機等を使用して操業していた。同年四月八日被告有限会社吉田木工場(以下被告会社という。)が設立され、被告吉田が同社の代表取締役に就任し、同社に本件木工場を賃貸し、以来同社は被告吉田の営業を譲受けて同人と同様の操業を続けている。

右木工場の附近一帯は都市計画法にいう準工業地帯と定められており、東京都公害防止条例に基づく東京都の昭和三五年五月一日実施にかかる指導基準により、隣地内で測定して午前八時から午後七時までは六五ホンを、午後七時から午後一一時までは六〇ホンを越える音量の騒音を発してはならない地域と定められている。

2  本件木工場は午前八時頃から午後八時頃まで操業しており、操業時には原告らの居室に面する西側の一間の窓二つを開放している。そのため、前記丸鋸機自働鉋の稼動により原告ら居宅と本件木工場との敷地の境界線附近で測定して六五ホンを相当程度越える騒音を発し、また木屑を原告ら方に飛散させていたので、これらにより原告らは甚しい心理的生理的苦痛を受けた。

3  もつとも、昭和三九年春頃、原告角次郎と被告吉田との間の豊島簡易裁判所における調停により、原告らの居宅と本件木工場との敷地の境界線上に高さ約八尺のブロック塀が設置された。これによつて前記の騒音は若干低下したが未だ被告会社は本件木工場の操業により、境界線附近で測定して六五ホンを越える騒音を発しているし、また将来にわたつて右の騒音を発するおそれがある。よつて原告らは被告らに対し、本件木工場を操業するに際し、六五ホンを越える騒音を発しないことおよび右騒音を防止するため操業に際し本件木工場の西側窓を閉じることを求める。

4  原告仲子は本件木工場の発する騒音のために神経衰弱になり、次第に悪化して昭和四一年一月頃から妄想性精神分裂病になつた。右疾病により原告仲子は次のとおりの損害を受けた。

(1) 昭和四一年一月初めから翌年四月末日までに支払つた治療費および雑費の合計金一〇〇、五一六円

(2) 右同期間家事ができなかつたために失つた利益一カ月金五、〇〇〇円合計八〇、〇〇〇円

(3) 精神的苦痛による慰藉料金一〇〇、〇〇〇円

よつて原告仲子は被告ら各自に対し右(1)の金員のうち金一〇〇、〇〇〇円および(2)(3)の金員の合計金二八〇、〇〇〇円ならびにこれに対する弁済期の後である昭和四二年五月一〇日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  被告ら(答弁)

1  請求原因第1項は認める。同第2項は否認する。同第3項前段は認め、後段は否認する。被告会社は後記被告の主張第2項のとおりの設備をしたので現在は六五ホンを越える騒音を発していない。第4項は不知。仮に被告らの操業にあたり原告ら主張のような騒音を生じ、そのため原告仲子が発病したとしても、両者の間に因果関係はない。

2  原告らが昭和三二年夏頃現在地に住居を建設して居住を始めたときには、被告会社はすでに本件木工場で操業しており、かつ操業時には現在以上の騒音を発していたが、原告らはこれを知悉していながら居住を始めたのであるから、被告らは本件木工場が発する騒音を受忍しなければならない。

3  被告会社は本件木工場操業にあたり、次のとおり事業の性質に従い騒音防止のために相当な処置をとり設備を施し、これによつて騒音を低下させたのであるから、被告らに過失はないし、原告らは本件木工場の発する程度の騒音はこれを受忍しなければならない。

(1) 昭和三九年春頃、原告らと本件木工場との敷地の境界線上に、高さ約八尺のブロック塀を設置した。

(2) 東京都の行政指導に従い、昭和三九年六月頃本件木工場にコンクリート敷の土間を作り、その上に自働鉋を設置し、また西側窓に雨戸を設置した。

(3) 操業時には本件木工場の窓、入口はすべて閉じている。

4  昭和三九年四月二八日豊島簡易裁判所の調停において、原告角次郎は被告吉田から右ブロック塀を建設するための資金の半額の金二六、二五〇円の支払いを受けたが、その際同原告は原告仲子をも代理して被告吉田および同人が代理する被告会社に対し、本件木工場の発する騒音については、以後被告らに対し金員の支払その他一切の請求をしないことを約束した。

したがつて、いずれにしても、原告らの本訴請求は理由がない。

三  原告ら(被告らの主張に対する答弁)

被告らの主張第2項のうち、原告らが居住を始めたときすでに本件木工場は操業していたこと、および現在以上の騒音を発していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同第3項のうち(1)、(2)は認める。ただしコンクリート敷土間を作つたのは昭和四〇年三月頃、雨戸を作つたのは同年五月頃でいずれも本件訴提起後である。その余の事実は否認する。

同第4項のうち、原告角次郎が調停に際し被告ら主張の金員を受領したことは認めるが、その余の事実は否認する。

第三  証拠<略>

理由

一原告ら夫婦が昭和三二年夏頃から肩書地に家屋を所有して居住していること、原告ら居住地の東側隣地にある本件木工場は同年初頃被告吉田の建築したもので、同年四月八日以後は被告吉田を代表者とする被告会社において右工場を被告吉田から賃借し、同被告の営業を譲受けて自働鉋丸鋸機等を使用して操業していることは、当事者間に争いがない。

二次に<証拠>を綜合すると、次の事実が認められる。

1  原告らが現在地に入居した昭和三二年夏頃から昭和三九年五月頃までの間における本件木工場の操業時間は通常午前八時頃から午後七時頃までであり、毎年四月頃から六月頃までの間は時により午後九時頃までになることもあつた。右の期間中、原告ら居宅に面した西側の二間の窓はガラス窓のみであつて操業中も開放されていた。また自働鉋を使用して操業する際には境界線上で測定して七二ホンから七五ホン位の音響を発し、木屑が原告ら居宅側に飛散するという状況であつた。

2  右の騒音等に悩まされた原告角次郎は昭和三八年暮被告吉田を相手方とし豊島簡易裁判所に騒音について調停を申立てたところ、翌年四月二八日成立した調停により、被告吉田はブロック塀建設の資金の半額を出費したので、そのころ原告らは原告らの居宅と本件木工場との敷地の境界線上に高さ約八尺のブロック塀を建設した。

右塀完成後、操業時の騒音は多少減少したが未だ六五ホンを下るには至らなかつた。

3  被告会社は、その後数度にわたる東京都の勧告に従い昭和四〇年三月頃に本件木工場内にコンクリート敷土間を設けてその上に自働鉋を設置しまたそのころ西側窓に雨戸を設けてこれを操業中は閉じるようになり、午後七時頃以後の作業も中止した(以上の事実のうち右のような設備をしたことは当事者間に争いがない。)。

右措置により、丸鋸機、自働鉋を負荷運転した際の騒音は、窓を閉じていれば、ブロック塀上で測定しても、最大六三ホンを超えないものとなり、塀の西側の原告ら居宅の敷地内で測れば更に右の音量を下廻るものとなり、また木屑は飛散しなくなつた。

以上のとおり認められる。原告角次郎の前掲供述の内、右認定に反する部分は採用しがたく、他にこの認定を動かしうる証拠はない。

三ところで、本件木工場の附近一帯は準工業地帯であり、東京都公害防止条例に基づく東京都の指導基準により、午前八時から午後七時までは六五ホンを、午後七時から午後一一時までは六〇ホンを超える騒音を発してはならない地域と定められていることは当事者間に争いがなく、右の基準は本件における原告らの受忍限度を判断する基準としても相当であると認められる。そして、前認定の事実関係からすれば、被告会社の現在における操業の状況は、右の基準による制限の範囲を超えていないものと認められ、他に特段の事情のない限り、被告会社は将来も、右の制限の範囲を超えた操業をするおそれはないと認めるのが相当である。

もつとも、前認定の事実からすれば、被告会社が騒音防止のために施した処置や設備等は、原告角次郎の調停申立、東京都からの再三の勧告があり、原告らの本訴提起があつた後に漸く着手したものであると認められる。しかし、前記のブロック塀、コンクリート土間、窓の雨戸等の固定的設備が既に設けられている以上、被告会社としては今後の操業にあたり窓を閉じさえすれば前記の制限に反することなく操業を続けられる状態にあること、窓を閉じることが被告会社の操業にとつて特別の不利益ないし不便をもたらすことを窺わせるような事情も見当らないこと、等を考えれば、被告会社が右の諸設備を設けるにいたつた経緯が前示のようなものであるからといつて、それだけで直ちに被告会社が将来、前示の基準による制限に反する行為をするおそれがあるものと断定することはできないし、他にそのようなおそれを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、被告会社の操業に伴なう騒音の発生が現に原告らの受忍限度を超えていることおよび将来これを超えるおそれがあることは、いずれもこれを認めることができないから、原告らの被告会社に対する請求は、その余の争点を判断するまでもなく失当であるといわねばならない。

四<証拠>によれば、原告仲子は肩書地に居住を始めた後神経衰弱になり、昭和四一年一月ごろから精神分裂病になつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

しかし、右原告仲子の疾病が本件木工場の騒音を原因とするものであることを認めるに足りる証拠はないから、右の疾病により蒙つた財産上および精神の損害の賠償を被告会社に対して求める原告仲子の請求も、その余の点について判断するまでもなく失当である。

五被告吉田がもと本件木工場を個人で経営し、その後被告会社に工場を賃貸していることおよび被告吉田が被告会社の代表取締役であることは当事者間に争いがない。しかし、原告らが右工場の隣地に居住するようになつたのは被告会社設立の後であつて、以後現実に本件木工場で操業しているのは被告会社である以上、その操業に基因する責任を被告吉田に対して問うことのできるいわれはないから、原告らの被告吉田に対する請求もまたその余の争点について判断するまでもなく失当であるといわねばならない。

六よつて原告らの被告に対する請求はすべて理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担については、既に述べた原告ら敗訴の理由を勘案し、民事訴訟法第八九条、第九〇条、第九三条を適用して主文のとおり判決すする。

(秦不二雄 橘勝治 細川清)

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